戦争責任としてのテロの恐怖

読売新聞の不定期連載「検証・戦争責任」シリーズは今日で7回目。「血盟団事件」「五・一五事件」「二・二六事件」に代表されるテロの恐怖をとりあげていました。軍部が「私は構いませんが、部下がどう思うか知りませんよ」的な論法で気に入らない政治家などを脅して政治を操り、結果的に日本を開戦→敗戦へと導いたというもの。


軍部の責任を問うのはシリーズ2回目。以前は「統帥権」絡みで取りあげられていました。読売は軍部の責任は相当に大きかったと認識しているようです(当然でしょう)。


細かい内容については触れませんが、『昭和天皇独白録』(文春文庫)からの引用が心に残りました。

私がもし開戦の決定に対して『べトー(拒否)』したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない。それは良いとしても結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びることになったであろうと思う。

当時の政治中枢近辺では、昭和天皇すら身の危険を感じるほどにテロの恐怖が蔓延していたことがうかがえます。国家元首である天皇すら守れないような国が、大国米国に勝つなど10000年早いわ、●●(自主規制的伏字)……と言いたくもなりますよ、私は。


大局的戦略眼を持たないまま暴走した一部の軍人、その軍部の暴走を許してしまった政治。どう考えても、あの時代は徹底的に未来永劫に亘って批判し続けるのが妥当だと感じられてなりません。