下村文科相発言の問題点(“民度”は使うべきではない)

昨日に引き続いて政治家の問題発言ネタ。まずはニュースソースから。

下村文科相「フェアな形で試合を」(NHK)

下村文部科学大臣は、閣議のあとの記者会見で、サッカーの日本対韓国の試合で、韓国のサポーターたちが「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕を掲げたことについて、「民度が問われることだと思うし、フェアな形で試合ができるよう今後に期待したい」と述べました。

前提として、次の3つをおさえておきたい。

  • 歴史認識に関わる横断幕は、応援時の政治的な主張を禁じたFIFAの規定に違反する可能性が濃厚であること。
  • 民度”とは「特定地域に住む人々の知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度」で、具体的に何の水準か曖昧なまま使われること。
  • すなわち、ある国全体に“民度”という用語を用いた場合、その国民全体を想定していること。

すると、以下の理由により、私には下村氏の発言が相当にまずいと思えるのです。

  1. まず、これはさほど大したことではありませんが、スポーツの試合でのトラブルに閣僚が口を出すのはどうなの? FIFA規定違反の件で韓国側に抗議したりFIFAに訴えるのは当然ですが、それは日本サッカー協会(JFA)あたりの役目だと思われます。ちなみにJFAは今は公益財団法人で、文科省からは完全に独立しています。
  2. 最も気になるのは、韓国の民衆全体を評価するかのような“民度”という用語を用いていること。韓国の国民性そのものに日本人とは相容れない要素が多々あることは事実だと思いますが*1、サッカーの応援の話をしているのですから、まずは韓国のサッカー機構やサポーターに限定した表現を用いるのが政治家としては筋でしょう。政治家が他国の国民全体を見下すかのような発言をした例は、他には余り思い出せません*2
  3. 更に“民度”という言葉が指す範囲に具体性が無いことが気になります。「民度が問われる」を別の言葉遣いに言い換えると「具体的には何が問題か言わないが、国民性がおかしいのではないか」となりそうです。政府の閣僚が使うのに相応しい言葉とは思えません。

つまり、民度を低く評価する表現は、根拠を明示しない他者批判となってしまうのです。だから私自身は何かを主張する際に“民度”は絶対に使わないことにしています。他者を批判するなら、そう思う根拠を詳しく!


そんなわけで、あくまで個人的な意見ですが、最近の政治家の発言の中では麻生氏よりも下村氏の“民度”発言の方がむしろ問題だと感じているのです*3。幸い韓国政府筋からの反発は「当局者論評」程度の低いレベルに留まってはいますが*4

*1:この件は別の機会にぜひ論じたい

*2:ネット上での下村氏擁護の主張の中で「民度が低い」ではなく「民度が問われる」だから構わない、というものを見かけましたが、詭弁としか思えません。低評価しているのは明らか

*3:ユダヤ関連をはじめとする国際社会では、麻生氏のが飛びぬけてヤバイのですが、私は日本人ということでそれは一旦措いておきます

*4:サッカー横断幕に下村文科相「民度問われる」 韓国は無礼と批判スポニチ