解雇規制緩和とドイツ失業率について

私の経済観はどちらかというと市場への信頼が強い方だと思っていますが、労働市場については「市場の失敗」が起こりやすいので市場原理の妄信は危険だと考えています。

先日、Twitterに以下の呟きを書き込みました。

これを書く準備としてWebで「解雇規制緩和」で検索してザッと目を通したわけですが、その際Wikipediaの「正規社員の解雇規制緩和論」のドイツの項目に目が留まりました。

ドイツは一度採用したら解雇はほとんど無理と言われるほど厳しかったが、法律を改め、解雇をしやすくした。また、失業手当の給付期間を短縮する一方、失業手当を社会扶助の同額まで引き下げた。短期的には失業者が500万人を超えたが、長期的には、雇用の流動性が高まり、逆に労働市場が拡大して失業者は減った

Wikipediaの記述を素直に読めば、ドイツでは解雇規制緩和がマクロ経済的に功を奏したように見えます。はたして本当にそうなのか? さらに、仮に今の日本で解雇規制緩和に踏み切った場合、長期的に失業率を増やすことなく人材移転を実現できるのか? こんな疑問を感じたので少々調べて考えてみた結果、日本は解雇規制緩和に慎重であるべし、との意を強くした次第です。以下、ここでは簡潔を旨として端的に書く予定ですので、より詳細な知識をお望みの方は、各自で参考pageや文献に当たってください。

短期的な痛みを甘受できる?

まず、件のwikipediaでも参考文献に挙げられている記事「ドイツ経済の勝因は 左派政権の「小泉改革」にあり 」(2011.7)から長めの引用。

 「シュレーダー時代の改革があったから、ユーロ安の追い風をフルに享受できた」とドイツのプライベートバンクの友人は語る。シュレーダー前首相は03年3月に「アジェンダ2010」と名付けた改革プログラムを発表した。当時、ドイツは深刻な成長の壁にぶつかり不景気に喘いでいたが、グローバル化する経済の中で、再び成長に乗せるために大改革を打ち出したのだ。

 改革に当たって、シュレーダー首相は大幅な減税を前倒しして実施したが、世の中では「痛み」が先に現れた。失業率が上昇したのだ。痛みを伴う改革が断行できたのはシュレーダードイツ社会民主党SPD)政権の支持母体が労働組合だったためだ。当初は「3年で失業者を半減させる」として組合の支持を得ていたが、改革実施後の痛みに耐えかねて組合の支持率は急低下、デモも頻発した。

 失業者が急増したのは、改革によって余剰人員の大幅な削減が容易になった企業が、相次いでリストラを実施したからだ。結果、05年には失業者数が500万人を突破。失業率は12.7%にまで高まった。国民の不満は頂点に達し、遂にシュレーダー政権は退陣に追い込まれた。グローバル化の中で勝ち残るためには硬直化した労働市場を崩し、新規事業の参入を容易にし、若者の雇用を創造しなければならないというのが、この労働市場大改革の狙いだった。つまり「雇用を守る」という目先の対策ではなく、将来を見据えて「雇用を創る」ことを狙ったわけだ。

 その後、EU拡大の恩恵もあり、ドイツは世界一の輸出大国となった。また、ユーロ安が追い風となり、企業の収益率が劇的に改善することになった。図らずもシュレーダー前首相がターゲットとした10年には、失業率は7%にまで低下。失業者数は300万人割れと、90年代初めの水準にまで下がった。GDP成長率もプラス3.5%と、再び成長を取り戻したのである。

一般に、解雇されてすぐに職に就くのは簡単なことではありません。やはり短期的な失業率上昇は不可避(よほど上手く事が進まない限り)と思われます*1。ドイツの場合は少なくとも3年間、失業率上昇の「痛み」に見舞われたことになります。いかに短期的な痛みとは言え、日本社会が3年間耐えられるかどうか、些か疑問に思えてきます。


元々の失業率がドイツと日本ではだいぶ違う

次に、両国の失業率の推移について、以下のWebページを参照してみます。
図録▽失業率の推移(日本と主要国)本川裕氏のサイトより)
これによると、ドイツが「アジェンダ2010」*2を発表した2003年のドイツの標準化失業率は9.1%。一方、日本の最新(2013年1月)の失業率は4.2%。出発点がだいぶ異なるため、緩和実行後の中長期的推移も違ってくるのではないか、という懸念が生じます。なお、日本の失業率は他の主要国に比べ概ね低めに推移していることも分かります。高度成長期に比べれば上昇したとは言え、これは大したものです*3

ハルツ4法が存在したことも無視できない?

さて、上でリンクした図録▽失業率の推移(日本と主要国)には、次の記述もあります。

2002〜06年にハルツ4法が制定され、失業者の起業と再雇用に対する支援策が強化されるとともに、従来の雇用保険による失業手当とは別に、希望する職ではない低賃金・不安定雇用であっても働き先を指定されたら断らないで就業するという条件で最低限の生活を確保する手当(月5万円程度)が政府・自治体から直接受けられ、自ら希望する職を目指して職業訓練する余裕を与えるという仕組みが整備された。これにより若者や外国人など従来失業を選択していた層が職に就き、このため失業率が低下したと見られる。労働政策として生活保護が制度化されたようなものなのでワーキングプアを温存するという批判もある。

このハルツ改革は「アジェンダ2010」発表に先駆けて2002年から始まっていますが、解雇規制緩和とは別の方向からの政策と呼べるでしょう。2006年以降ドイツの失業率は低下傾向にあります。さて、解雇規制緩和政策とハルツ4法による公的扶助政策のどちらがより失業率低下に貢献したのか? それ以外の要素の貢献もあったのかも知れません。評価は簡単ではなさそうです。


当エントリで私がいちばん強調したいことは、当時のドイツと現在の日本では状況がだいぶ違うぞ、ということです。だから、ドイツでの解雇規制緩和の経緯をそのまま日本に当てはめるのは些か乱暴でしょう。一方、ドイツで失業率低下が実現したことも事実なので、「労働者の生活を脅かすな」「企業の利権は許さない」的な情緒的理由だけで解雇規制緩和案を切り捨てるのも如何なものかと思います。現在、安倍首相の元で解雇規制緩和に関する議論が行われているようです。議論は大いに結構だと思います。単に一部企業の利益に囚われることなく、マクロ経済情勢を踏まえた冷静な議論と政策判断を望みます。

最後になりますが、2000年代のドイツ経済を概観した資料としては、2011年12月に発表された内閣府「世界経済の潮流」の1.国ごとにばらついているヨーロッパ経済 - 内閣府が詳細かつわかりやすいかも知れません。

*1:これを補償するため再就職支援金がセットで提案されてはいますが。

*2:ドイツ語風読みなら「アゲンダ2010」

*3:ちなみに小泉首相在任期間は失業率は低下傾向でした