活断層問題(安全神話なんてあったの?)

原発問題については11月30日に長文記事を書いていますが、補足したいことがあります。

福島第一原発事故後、「原発安全神話が崩壊した」という論法を見掛けることが増えました。私は以前からこの論法に大いなる疑問を抱いています。「安全神話なんてあったの?」という疑問です。私自身は、ずっと前から原発は一旦事故が起きれば大変なことになると知っていましたし、事故の可能性は低いものの決してゼロではないと考えていましたし、だからこそ原発は辺鄙な場所にばかり建てられると思っていました*1。リスクを承知で、エネルギー政策上のリターンがあるから原発の存在を容認していたわけです。そして、一部の反原発主義者を除いて、皆が私と似たような考え方だと思っていました。原発が絶対的に安全だと無邪気に信じていた人なんて居るのでしょうか?……うーん、やはり居るのか?

福島第一原発事故以前と以後とで、基本的に原発そのもののリスクは些かも変わっていないはず。事故を教訓に安全対策をより強化することは重要ですが、そこさえ満たしていれば、あとは政治次第です。再稼動にリスク*2が存在することは間違いない。一方、再稼動しないことによってエネルギー価格の負担増などの損失が起こるかも知れない。メリットデメリットを総合的に勘案して、政治的に判断すれば良いと思うのです。

最近、原子力規制委員会活断層判定により、東北電力東通原発の再稼働が困難になっていることが報じられました。これについては、活断層の定義拡大によって半ば無理やり原発を停めようとしているようにも見えます。まあ、敷地内活断層が実際に活動して地震が起こったら大ダメージに見舞われるのは確実でしょう。しかし、その地震が今後いつ起こるのか、誰にも予知できません。数年後か、数十年後か、数百年後か……もし数百年後以降ならば、そのときには現在の方式の原発は既に過去のものである可能性が高いわけです。視点を変えると、敷地付近に活断層が無くても、東日本大震災を超える規模の地震津波が起きて事故に至る可能性もゼロではありません。以上より、原発活断層の上にあるか否かで再稼働の是非を判断する考え方は、私にはナンセンスとしか思えないのです。

再稼動の可否を含め、今後原発をどうするかという問題についての最終決定は、規制委員会の学者などではなく政治が行うべきです。再稼動のリスク、再稼動しない場合の諸方面への経済的負担、火力を含む代替エネルギー移行への見通し等、様々な要素を考慮し、国民に十分説明した上で決定していくことこそが政治の役割だと思います。

*1:いま思えばこの認識は若干不十分だったかも。原発誘致は、他にこれと言った産業がない自治体にとっての安定財源の役割も果たしていました。これについては通常ブログの下北半島論で触れています

*2:確率的にはごくごく小さなリスクですが