対米英戦争開戦記念日に思う

1941年の12月8日、日本軍の真珠湾攻撃により、太平洋戦争(先の大戦の中の対米英戦争のこと)が始まりました。


米国と戦ったら勝ち目が薄いことは、冷静かつ客観的に見れば明らかだったはず。にもかかわらず開戦し、結果的に多数の日本人を死に至らしめた責任は大だと思っています。


その点、最近の読売新聞が(正確には渡辺恒雄氏が)戦争責任に拘っている姿勢を高く評価しています。今日の紙面は戦時下の「日記」特集でしたが、個人的には先月26日の米英中の3人の歴史家へのインタビューが興味深かったです。3人のうち2人が「日独伊三国同盟は失策」と述べています。また、やはり3人中2人が「中国から完全撤退すれば対米戦争は回避できた」と述べています。確かにその通り。


1946年の11月26日*1、米国は国務長官コーデル・ハルを通じて、「合衆国及び日本国間の基礎概略」という文書を送ってきました。いわゆる「ハル・ノート」です。この中で、米国は日本に対して

  1. 中国とインドシナからの完全撤退
  2. 中国において、中華民国国民政府(重慶蒋介石政権)以外を認めない
  3. 日米英中などの相互不可侵条約の締結

などを要求しました。


残念ながら、当時の指導者と世論の大勢にとって、中国からの完全撤退は論外だったようです*2。その理由は

  • 中国からの権益を手放せば日本の国益が大きく損なわれる
  • 権益を築いてきた先人に申し訳ない

というところでしょう。当時の状況を考えると仕方がない面があるとは思いますが*3現代日本に住む私の目からは、どちらの理由も説得力皆無です。前者については、植民地を黙って手放すよりも戦争に負ける方が損失が遥かに大きいはず。後者については、先人の業績が国益に反するならそんなものは捨ててしまえばいいじゃないですか。


将来的に、日本が当時と同様の状況に置かれる可能性は極めて少ないでしょうが、皆無とはいえません。万一のときに国民や政府が愚かな選択をしないためにも、64年前の開戦責任は未来永劫に亘って徹底追及されるべきだと私は考えます。


なお、「ハル・ノート」の解釈については意見が分かれています。参考までに、当時の日本を正当化する歴史観をお持ちの方のpageにリンクしておきます。この方の歴史観には全く同意できませんが、「ハル・ノート」周辺の解説としては非常にわかりやすいです。
交渉の余地無し!! ── 『ハル・ノート』に見るアメリカの「戦争責任」

*1:読売の特集はこの日に合わせたのでしょう

*2:米国は、日本が「ハル・ノート」を受諾しないことは想定していたことでしょう

*3:それでも政治家ならば、米国に負けたらどうなるか、ということまで考慮すべきだったと思いますが