読売戦争責任特集「メディア」

読売新聞の不定期連載「検証・戦争責任」を愛読しています。本日掲載分は「メディア」。主に大戦当時の全国3大紙(朝毎読)が軍部に協力していった様子を概観しています。


満州事変直前まで、多くの新聞は軍縮推進を提唱し、軍部に批判的でしたが、1931年の満州事変以降、メディアに対する掲載差し止め等の言論統制が表面化していきました。例えば、この頃の内務省警保局は「満州における自衛的軍事選挙を日本帝国の侵略行為となすもの」などの差し止め基準を設けています。


その後、日中戦争、対米開戦と進むにつれてますます統制は強まり、太平洋戦争中は大本営が発表した事実しか報道できなくなったことは周知の通り。軍部批判など考えられない状況でした。例えば次のような事例があります。

「軍部批判」の記事もわずかながらあった。1944年2月23日、毎日新聞は一面で、「戦局は茲まできた 竹槍では間に合はぬ」と軍部の精神主義を批判した。この記事をみて、東条英機首相は「竹槍は陸軍の根本作戦ではないか。毎日を廃刊にしろ」と激怒した。執筆したのは同社黒潮会キャップ、新名丈夫(当時37歳)。陸軍は彼を丸亀連隊に「懲罰召集」した。

この「軍部批判」は戦争批判ではなく、しかも軍事的に正論だと思うのですが*1、それでも「懲罰」に処されてしまう状況。これでは反戦などもってのほか。実際、太平洋戦争中に戦争そのものを批判したメディアは地方紙にごく少数あるだけで、三大紙では皆無だったそうです。


しかし、責任を軍部のみに帰するのは誤りで、むしろ大メディアの責任の方が大きかったのではないか、というのが読売の論調です。というのは、当時の大新聞人は悉く軍部への協力姿勢を当初から積極的に(つまり言論弾圧されるまでもなく)表明しているからです。例えば…

読売新聞の正力松太郎社長も(業界機関紙『日本新聞報』の)インタビューで、「新聞の指導理念は国体観念に徹していなければならない」と述べた

読売新聞の自己反省! 更に、京大教授の佐藤卓己氏は「戦時中の“言論弾圧”の中には、メディア側が面子を保つために戦後に創作したものがあった」と述べています。これは知らなかったです。上で例示したような弾圧が少しはあったことも事実ですが、戦後の大メディアが戦争責任に関する自己反省を避けていたことも確かなようです。


三大紙が戦争に協力的だったことの背景には、1931年の満州事変以降、太平洋戦争中の1943年頃に至るまで、各新聞の発行部数が伸び続けていた*2ことがありました。戦争に協力する報道をすれば売れる時代だったわけです。

「戦争報道は商品としての最大の見せ場であり、売込み時である。大企業体であればあるほど、この商戦の機会を見逃すなど出来ぬ相談」(佐々木隆著『メディアと権力』中央公論新社)というのが、当時の業界の実情だったとみられる。


以上で、今日の「検証・戦争責任」の超要約を終わります。感想としては、まず、現在のように経済・防衛政策や靖国問題等で各紙の論調が異なる状況は幸せだな、と痛感しました。また、読売が「言論統制に関しては、メディアの責任は軍部と同等以上に大きい」という反省的論調を採ったことに好印象を抱きました。読売以外の大メディアにも、是非このような反省の念を共有して欲しいと念願します。そして、普段は異なる論調を競いつつも、将来的に(不幸にして)万一政治が大きく道を誤った場合、一致協力して対抗できるようなメディアであって欲しいと思います。

*1:「竹槍は根本作戦」などと言い放つ東条英機というトンデモ最高司令官は未来永劫に亘って批判され続けるのが適切だと思います

*2:私はこの事実も知りませんでした