「中国は脅威」の解釈のギャップ

昨年、民主党の前原代表が「中国脅威論」をぶち上げて以来、「果たして中国は脅威なのか」という議論を時々見かけるようになりました。


軍事費を増強し続ける共産主義体制の隣国である中国が、潜在的に脅威になり得る存在であることに異を唱える人は少ないと思うので、問題は

  1. 中国が「現実的脅威」だと言えるかどうか
  2. 仮に「現実的脅威」だとして、それを公言することが賢明かどうか

の2点でしょう。


また、米国内でも中国脅威論は盛んなようで、中国側からは米国への反論が頻繁に表明されています。
「米国は対中戦略がバラバラ」中国脅威論に反論(サーチナ・2/15)
外交部:米国防総省を批判「中国脅威論に染まっている」(サーチナ・2/8)

  米国防総省が発表した「4年ごとの国防戦略見直し」の中で、中国を「米国と軍事的に競い合える最も大きな潜在力を持つ」などと指摘したことに対して、中国外交部の孔泉・報道官は7日、「中国脅威論に染まっており、世論を誤った方向に導く」と批判した。

  また孔・報道官は、「中国は平和的に発展しており、自国を防御するための国防政策を展開している」「中国は、これまでにも他国の脅威となったことはないし、今後も他国の脅威とならない」と強調。

記事から判断する限り、米国は客観的な軍事費等のデータから「潜在的脅威」を主張しているだけなので、中国の反応はやや過剰気味に思えます。このような認識のギャップが生じる原因は何なのでしょうか?


約1ヶ月前のことですが、毎日新聞解説委員の岩見隆夫氏は1月18日のコラムで「現実的脅威」を主張しています。
サンデー時評:中国の「脅威」を感じないのがヘンだ(毎日新聞)
論争のポイントが所々に散りばめられている文章なので、少し引用します。


まず、岩見氏の主張の中で最も賛同できないのは次の部分。

 さて、言葉の問題である。〈脅威〉というのは、脅迫と威圧が重なった単語で、要するに脅かされる状態のことだ。中国のただならない軍拡路線に日本人が平気でおれるはずはなく、脅かされた気分で、薄気味悪く見守っている。

 だから、暮れに発表された内閣府世論調査では、〈日中関係は良好だと思わない〉と答えた人が前年比約10 増の七一・二%にものぼった。過去最悪の数字である。隣の国が軍拡を進めているのに、親しみを持て、と言われても、そうはいかない。

日中関係は良好ではない」と「中国は軍事的脅威」は別概念でしょう。意図的かどうかは分かりませんが、岩見氏は両者を混同しています。私も日中の政治的関係は良好だと思いませんが、それは軍事的脅威のせいではなく、靖国をはじめとする歴史認識問題の存在や、中共反日的姿勢と反日デモの存在に因ります。

 東シナ海のガス田開発も、中国側の国際ルールを無視した高圧的なやり方のうらには、軍事力がちらつく。現実的脅威の裏づけにほかならない。

共産主義を採る高圧的な軍事大国に脅威を感じること自体には私も同意しますし、「現実的脅威」だという認識自体は問題ないと思います。しかし、その認識を無造作に公言することは賢明ではないと考えます。なぜなら……

麻生太郎外相もその後、中国の軍拡について軌道修正し、

「隣国で十億の民、原爆を持ち、軍事費が連続十七年二ケタ伸び、その内容も極めて不透明ということに関しては、かなり脅威になりつつある」(十二月二十二日の記者会見)

 と現実的脅威を認めた。これに中国側が扇動だと反発し、自民党山崎拓前副総裁は、前原発言も含めて、

言葉づかいを間違っている。〈脅威〉と言うと、わが国への侵略の意図があると言っていることになり、一層の緊張が生まれるナショナリズムの方向に国民を誘導するのは許されない」

と異を唱えた。

 だが、脅威と侵略意図の間には大きな隔たりがあるのではなかろうか。軍拡の狙いがはっきりしないときに、言葉の過剰反応をすると、日中間の不信が逆に深まるのを恐れる。脅威でないのなら、それを説明するのは中国側であって、日本がへつらうことはないのだ。

言葉の解釈が人によって異なることも論争の一因なのかも知れません。単に「脅威」だけでは、「侵略意図」と解釈されても仕方ないと思います。冒頭に述べた通り、中国もやや過剰反応気味に思えますが、言葉の解釈のコンセンサスが無い状況で無造作に「脅威」を用いる日本人もやや無神経だと思います*1

中国の軍拡による脅威を嫌うナショナリズムは正常で、当然だ。嫌中、反日にならないような手立ては、お互い懸命に講じなければならないが、そのためにも、脅威ははっきり脅威と主張し、丁々発止と渡り合わなければ、日中のキズナは太くならない。

中国が一筋縄でいかない曲者であることは確かであり、国益に直結する外交問題で丁々発止と渡り合うことは必要でしょう。だからと言って、政府や公党のトップに近い人が基本姿勢として「脅威論」を唱えるのは賢くないと思います。現在の政府見解と同様、ひとまず「中国は脅威ではない」という基本姿勢を保ちながら、相手に問題があるなら実際の外交交渉の場で具体的かつ強気に指摘する、という態度が最も望ましいと考えます。

*1:「脅威だと感じられるから“脅威”だと言うのは当然」と主張しているネット右翼ブログを見かけました。子供の喧嘩やネット掲示板での論争ならそれでもいいでしょうが、外交ってそんなものじゃないでしょう。