渡辺恒雄氏の「論座」での発言集(前)

さて、「論座」2月号における戦争責任や靖国参拝問題についての渡辺恒雄氏の発言の中から印象に残ったものを引用してみます。これらは朝日の若宮論説主幹と概ね意見が一致しています。

僕は学生時代から本当に反戦を主張してきました。先の戦争で、何百万人もの人々が天皇の名の下で殺された。僕も徴兵され、二等兵でしたが奴隷的に酷使された。幸い僕は生き残ったが、ひどかったのは特攻隊です。あれは強制自爆だからね。戦況がだんだんひどくなると、帰りの燃料のない飛行機に乗せられ、戻れないようにさせられて自爆した。さらにエスカレートすると、今度はグライダーですよ、飛行機にくっつけたグライダーに乗せられ、目標めがけて放り出される。とにかく自爆するしかないというところまでいった。そういう残酷なことをやった。僕は戦時中、こんなことを国がやるということは許せないと、本当に思っていた。それも、天皇の名の下にでしょう。
戦時中の体験もあって、そういうことを命令した軍の首脳、それを見逃した政治家、そういう連中に対する憎しみがいまだに消えないですよ。

渡辺氏は、過去にもこの種の主張を繰り返しています*1。これに対して「私怨で靖国批判をしているのか」と揶揄するネット右翼ブログを見たことがあります。しかし、「私怨」は余り適切ではないと思います。当時、渡辺氏と同様に感じた人々は少なからず居た(全員ではないでしょうが)からです。やはり、実体験した人の言葉は重いですよ。

中国や韓国が靖国参拝に反対しているからやめるというのはよくないと思う。日本人が外国人を殺したのは悪いけれども、日本国民自身も何百万人も殺されている。今、靖国神社に祀られている多くの人は被害者です。やはり、殺した人間と被害者とを区別しなければいかん。それから、加害者の方の軽重をきちんと問うべきだ。歴史的にそれをはっきり検証して、「我々はこう考える」と言ってから、中国や韓国にもどういう迷惑をかけていたのかという問題が出てくるのだ。

完全に同感です。

僕も79歳です。僕らがいなくなると、あの残虐な戦争の実態を知らない人たちばかりになって、観念論争になっちゃうんじゃないかと心配だ。中国や韓国の人たちだって、極端な歴史を博物館や何かの形で残して、子孫に伝え、反日運動をあおっている面がある。

これも完全に同感。中国や韓国が歴史を歪曲して反日を煽ろうとしている面があることは確かです。だからといって、仕返しに極端な嫌中、嫌韓に走ろうとする日本人には到底同意できません。たとえ中韓はそうであっても、我々は冷静かつ客観的に自らの戦争責任を省みていこう、という読売即ちナベツネ氏の姿勢の方が余程共感できます。


いわゆる南京事件で日本軍が殺した人数に関する議論について、渡辺氏は次のように断じています。

そりゃあ、当時の兵器の性能からしても、30万人というのは物理的に不可能なんですよ。ただ、犠牲者が3千人だろうと3万人だろうと30万人であろうと、虐殺であることには違いがない。

完全に同意。今となっては客観的証拠を得ることが困難な虐殺人数についての論議は不毛だと思います。虐殺があったことは事実なのですから、日本人がそれを反省する方が先

日本がちゃんとした侵略の歴史というものを検証して、事実、あれは侵略戦争であったという認識を確定し、国民の大多数がそれを共有するための作業を始めたわけだ。
そうなってくれば、中国、韓国も、そう反日宣伝を続けなくなると思う。ただし、それは結果論であって、「中国や韓国の反日を収めるために歴史認識を変えろ」と言うんじゃないんだよ、僕は。

ほぼ同意。遊就館的もしくは「つくる会」的歴史認識を持つ人が日本に多数居ると思われている*2ことがモンダイだと思います。

また、分祀というのは本当によくわからない話なんだ。合祀というのは「座」というけれども、いわば座布団の上に名簿を持ってきて、祝詞か何かをやると、その霊が全部その中に入ってしまう。いったん入った霊を、A級戦犯の分だけ取り戻すことはできないんだという。それは、瓶にある水をちょっと杯に入れて、それでその杯の水をもし瓶に戻したら、その杯分の水を瓶から取り出すことはできないじゃないかという理屈で、今の宮司の南部利昭さんが言っている。
これは、神道の教学上の理由だそうだ。しかし、南部さんの言っている神道の教学というのは、明治以降の国家神道廃仏毀釈をし、国境は神道だけだ、ということをやってでき上がった国家神道の教学だ。そんなもののために日本の国民が真っ二つに割れて、さらにアジア外交がめちゃめちゃにされている、そんな権力を靖国神社に与えておくこと自体が間違っている。これを否定するには、やっぱり首相が行かないことですよ。公式参拝は一切やらないことです。それしかない。

最後の論旨はやや曖昧ではないかと。今年の小泉首相は、明らかに私的行為であることを強調して参拝していたので、「公式参拝は一切やらないことです」は余り意味が無いと感じます。それとも「首相は公私問わず靖国に行くべきではない」という主張なのでしょうか。


首相の参拝に関する私の考えはもう少し穏やか(?)で、首相といえども信教の自由は保障されるべきだと主張しています。理想論かも知れませんが、首相が個人の信仰に基づいて靖国参拝してもどこからも文句が出ない状態を目指すべきで、それには自由主義史観(反自虐主義歴史認識)を克服するしかないと考えています。

僕は靖国公式参拝論者を次の首相にしたら、もうアジア外交は永久に駄目になっちゃうんじゃないかとも思っている。今はポスト小泉は安倍さんが非常に有力だといわれているけれども、この点を心配する。

心配なのは同感。実際に安倍氏が首相になってからでないと彼に対する評価は下せませんが。。


少し話は変わりますが、小泉首相の「日米関係がよければよいほど、中国、韓国、アジア諸国をはじめ、世界各国と良好な関係を築ける」という発言に対して、ナベツネ氏は次のように激怒します。

あれは、何という短見か。愚劣な意見ですよね。13億人もいるあの大国が、そう簡単に動くわけがない。僕は、日米同盟が必要になるのは、むしろ北朝鮮だけだと思うんだ。もし日米同盟がなくなったら、日本国内に核武装論が出てくると思うから、日米同盟が必要だと考える。

私自身はもう少し日米同盟を高く評価しています。とは言え「国内の核武装論を抑えるための日米同盟」というのは現実的かつ的確な視点です*3

政治家は、現実の外交を優先して考えなきゃいけない。小泉さんは政治をやっているんであって、イデオロギーで商売しているんじゃあない。国際関係を取り仕切っているんだから、靖国問題で中国や韓国を敵にするのは、もういいかげんにしてくれと言いたい。

基本的に同意。小泉さんは近々退陣するのですから、次の首相に対しても言いたい台詞です。


今日はここまで。現実的保守派のナベツネ氏の面目躍如という感じで、個人的には感動すら覚えております。


近日中に、防衛観や憲法観に関する部分*4について書きます。

*1:id:dslender:20051125#p1

*2:実際には大多数ではないと思いますが、10年前に比べて増えていることは確実でしょう

*3:実際、「諸君!」の2月号に登場する中條高徳氏などは「いずれ日本にも核武装が必要だが、当面は日米同盟が必要。シャクだけど(要点)」と述べています

*4:朝日の若宮氏とは意見を異にする部分でもあります