産経抄の印象批判を批判する

産経新聞は、ごくたまにですが、そこいらのネット右翼ブログ並みの低レベルな煽り的言論を行います。1月6日付けのコラム「産経抄」から、1月5日朝日社説を批判した箇所を引用。

▼寒いといえば、五日付の「私たちこそ理解できぬ」と題した小泉首相靖国神社参拝を批判した朝日新聞の社説は、読み返すほどに身震いがくるような内容だった。靖国参拝を批判するのは勝手だし、中国や韓国の立場を戦没者のご遺族よりも重視するかのような言論も自由だが、「全国の新聞のほとんどが参拝をやめるよう求めている」というのは誤植ではないかと何度も見直した。

全国4大紙のうち、首相の靖国参拝に懸念を示していないのは産経だけです。全国的に見ても、参拝に懸念を示す新聞の方が明らかに多数派です。「ほとんど」が妥当かどうかは疑問の余地がありますが、朝日新聞の現状認識は大きく外してはいません。

とは言え、私も、朝日の見解に全面的には賛成しません。多数の新聞が参拝中止を訴えているからといって首相が参拝を控える必要がないことは当然ですし、世論やメディアの論調で参拝の是非を決めるのは好ましくないと思っています*1。一歩譲って世論に耳を傾けることを正当化したとしても、大新聞社の意見の趨勢と一般世論は必ずしも一致しません*2。朝日を批判するならそのような方向性で行えば良いと思うのですが、産経抄は次のような低レベルな“印象批判”を繰り広げます(太字は引用者による)。

▼確かに戦前戦後の一時期、かの新聞が業界のリーダー的な存在であり、部数でも日本一だったころがあった。だが今や朝日の言説に「ほとんどの新聞」や「言論人」が肯(うなず)く時代ではない。言論人イコール朝日人という論法は理解できない。第一、「私たち」とは誰なのか。

朝日社説のどこをどのように読めば「言論人イコール朝日」と主張しているように見えるのか、不思議でなりません。産経の記者は朝日を嫌う余り、客観的に文章を読めない状態に陥っているかのようです。朝日社説のいう「私たち」とは、単に「首相の靖国参拝反対という点で共通する新聞や言論人」を指しているだけでしょう。客観的正当性に乏しい解釈で朝日記者の文章に対する印象を貶めようとしていると感じられます。

 ▼深い雪もいつかはとけ、豊かな実りをもたらす。必要なのは寒風に立ち向かう気構えと春を待つ忍耐心だ。戌年の今年、小欄は大いにほえるつもりだが、どこかの国の歓心を買おうとしているようには見られぬよう、心したい。

朝日新聞に対する皮肉。しかし、朝日が“中国様”や“韓国様”のために靖国批判をしているというのは本当でしょうか? 中韓を抜きにして、日本人として戦争責任問題を明確にしたい、という思いから靖国批判をしている可能性もあるでしょう*3し、円滑な対中韓外交を願うだけでは「媚中」「媚韓」ではないと思います。この種の皮肉は嫌中嫌韓主義者には痛快なのでしょうが、客観的な批判としては成立していません。

客観的な根拠のない印象批判は、2chや特定ブログでの一行煽りコメントと同レベルだと思います。

*1:参拝の有無は、あくまでも自らの信条か政治的判断のみに従って決定されるべし

*2:このことを根拠に朝日社説を批判しているネット右翼の例として、「あんた何様?日記」の1月5日付けの最終段を挙げておきます。一応批判として成立していると思います

*3:読売の渡辺恒雄氏はそのように明言しています。勿論私の靖国批判も同様