大戦時の日本の国際感覚

4日遅れですが、速報の必要性はないと判断して、今日書きます。


戦争責任問題に熱心な読売新聞の不定期連載「検証・戦争責任」は12月16日で5回目。この日のテーマは「日本の対外認識と国際感覚」というテーマでした。


幾つかの観点から、先の大戦時における日本の対外認識の貧しさを論じていました。特に、捕虜の扱いについて印象に残りました。ところどころ引用しながら要約します。


日本軍は、日露戦争では捕虜を厚遇していました。しかし、捕虜になることを恥とする日本独自の捕虜観は、敵国の捕虜を蔑ろにする姿勢へと繋がっていった、と読売は分析しています。

 捕虜の待遇に関する1929年のジュネーブ条約は、調印しながら批准は見送られた。日本の軍人は捕虜より自決を選ぶので、敵国の捕虜を厚遇することは、日本側の一方的な負担となる。敵のパイロットが日本国内に安全に着陸できることを保障すれば、空襲の危険が増す。これらの理由から陸海軍が批准に反対したのだった。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」と「戦陣訓」で説いた東条首相は当時、「日露戦争のときは文明国として認めてもらうため捕虜を優遇したが、今日の日本にそんなことをする必要はない」と語っている。

東条英機という人が一部の外国人に非常に嫌われている理由がよくわかります。嫌われて当然。この言動を正当化する日本人は、率直に言って好きになれません。


トップがこれでは、捕虜の扱いに関する教育が軍の下級部隊まで十分に行き渡るはずはありません*1。戦後のいわゆるBC級戦犯裁判で、捕虜虐待や民間人殺戮などの戦争法規違反で920人が処刑されました。この中には、日本軍が教育をきちんとしていれば処刑されずに済んだ人も居たでしょう。


尤も、日本だけでなく連合国側による国際法違反も多数あったことは事実。

ソ連は日ソ中立条約に違反して日本を攻撃、旧日本軍将兵をシベリアに抑留し、厳しい労働を強いた。東京大空襲の指揮をとった米司令官は、「負けていれば、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と語ったという。

とは言え、「連合国側も違反していたのだから」という理由で日本を相対的に正当化しようとする言論には絶対に賛同できません*2。戦争に負けたくせに何を偉そうなことを言うか、と思ってしまいます。東京大空襲に携わった米国人の発言は象徴的。勝ちさえすれば、国際法に反しても罰せられないのが戦争の現実です。


だからこそ、絶対に戦争を起こしてはならないと思います。不幸にして戦争に巻き込まれる可能性はゼロではないわけですが*3、その場合は決して負けてはならないと思います。


負け戦で、しかも国際法違反だらけ、という先の大戦は、どう贔屓目に見ても「正義の戦争」とは思えません*4。全否定する方がよほどマシに思えます。日露戦争以後、第2次世界大戦終結に至るまでの日本の歴史は、今後、永遠の反面教師として反省し続けるべきでしょう。その方が、内外の多くの人々から賛同を得られやすいという意味でも、「大東亜戦争正義論」などよりも遥かに優れた行き方だと思います。


【関連記事】戦争体験者ナベツネ氏の認識

*1:日本軍による捕虜虐待の例としては「バターン死の更新」や、泰緬鉄道建設などが挙げられます

*2:単に連合国側を批判するだけなら良いですが

*3:全ての国やテロリストが国際法を遵守していれば戦争になる可能性はゼロだと思いますが、残念ながら現実はそうなっていません。だから日本にもきちんとした軍備が必要だと思っています

*4:大東亜戦争は正義の戦争」と言い放つ市会議員のブログ記事にも参考までにリンク。http://nippon7777.exblog.jp/818045/