桜魂の論理
昨日に引き続き、ネット右翼市会議員・いかるが卓徳氏のブログ「桜魂」について。
id:dslender:20051217を書く際、ここにトラックバックを打っていたのですが、エログのSPAMもろとも見事に削除されました。どうやら、いかるが氏は批判的なTBは削除する方針のようです。よって、今後は「桜魂」に言及する際はTBなしでいきます。
なお、トラバの削除を批判するつもりは毛頭ありません。コメント抹殺は言論弾圧ではないに書いた通り、コメント欄やトラバの扱いはブログ主の専権事項だと思っているからです*1。
ついでながら、「桜魂」の中から最近印象に残った部分を引用しておきます。12月5日の「現れ出よ有徳の政治指導者たち」の最後の部分です。
信仰なき者は、人の上に立ってはならない。信仰なき者には、本当の強さがない。信仰なき者は、理想を語る資格がない。
そのくらい、信仰というのは、人生において重要なものなのだ。その偉大さを知らなければならない。
「皇室典範の改正問題」で、一番重要な要素は、この信仰の重要性を知っている人が、この問題にどれほど関わっているかだ。信仰なき者には、本来この問題について発言する資格もないのだ。
信仰、それは全ての全てである。信仰なき人は、動物にも等しいという事を知りなさい。
「信仰なき人は、動物にも等しい」や「信仰なき者には、本当の強さがない」は、言い方はきついですが、私も全く同感です。信仰はそれほど大事なもの。
しかし「信仰なき者は皇室典範改正問題について発言する資格もない」は如何なものか。いかるが氏はもちろん女系天皇反対ですが、統一教会系の世界日報(韓国語版)が“女王容認”を絶賛している*2のは彼的にはOKなのでしょうか?
いかるが氏は、「信仰を持っていれば女系天皇に反対するのは当然」と考えているように見えます。ただ、信仰にも色々あります。ご自分の信仰だけを基準に上のように書いているとすれば、政治家としては独善的だと私は思います。