昭和天皇の歴史認識

新しい話題がないので、ここを開設する前の今年6月11日にメインブログに書いたエントリをそのまま転載しておきます。
────(以下転載)────
毎日新聞岩見隆夫氏のコラム「近聞遠見」の本日付の記事が興味深かったのでリンクしておきます。
 昭和天皇の「中国認識」(現在はリンク切れ!)
この記事を読むと、昭和天皇が、かつての日本による中国への侵攻について非常に申し訳なく思われていたことが分かります。

宮内庁式部官長の安倍勲氏のインタビューを引用した部分。

昭和天皇の考え方は、(他国の)国民に迷惑をかけたというのは、中国だけなんです。日支事変(37年7月の盧溝橋事件)以来、わけもわからず入っていってね、散々迷惑をかけた。これははっきりしている。韓国はまた別なんです。日本は当時、統治していたわけですから、いい話と悪い話と両方あるわけです。治めていて、まじめに働いていた人なんかは、『いやよかった』と言うし、悪いほうはあまり(天皇の)お耳に入っていない。


また、次のような事実があったことを初めて知りました。
初の要人として、78年10月、最高実力者のトウ小平副首相が来日、昭和天皇と会見するが、天皇は顔をみるなり、

 「わが国はお国に対して、数々の不都合なことをして迷惑をかけ、心から遺憾に思います。ひとえに私の責任です。こうしたことは再びあってはならないが、過去のことは過去のこととして、これからの親交を続けていきましょう」

 と謝罪の気持ちを述べたという。瞬間、トウは立ちつくす。電気にかけられたようになって、言葉が出なかった、と一部始終を見ていた入江相政侍従長がのちに話している。

予定外の謝罪とは、凄いことだと思います。戦争当時の国家元首としての責任感なのでしょう。

岩見氏は、記事の最後を
アジア諸国、と安易にひとくくりにしない。歴史認識を深めるには、そうした丁寧な視点も必要である。

と結んでいます。ここには、最近のネット世論の多数派でもある「多くのアジア諸国靖国参拝に文句を言わないのに中国が文句を言うのはおかしい」という考え方への批判もしくは懸念も込められていると思われます。

私自身の考え方は、既に過去エントリ靖国問題と為政者の責任で書いた通りなので、ここでは繰り返しません。しかし、歴史認識は人、立場、宗教によって様々であること、および、歴史的事実は一つであってもそこから得られる真実は必ずしも一つではない、ということを改めて強調しておきたいと思います。