戦争体験者ナベツネ氏の認識

今年に入ってから、読売新聞は積極的に紙面で戦争責任問題をとりあげています。おそらく、読売グループ会長のナベツネこと渡辺恒雄氏の意向でしょう。


新党日本田中康夫代表が「日刊ゲンダイ」で連載しているコラムの中で、渡辺恒雄氏を好意的に評価する部分があったので、引用します。*1先の大戦の軍隊を実体験したナベツネ氏の発言には強烈な説得力を感じます。
傾聴に値する渡邉恒雄氏の発言 新党日本のサイト)

安倍晋三に会った時、こう言った。『貴方と僕とでは全く相容れない問題が有る。靖国参拝がそれだ』と。みんな軍隊の事を知らないからさ。それに勝つ見込み無しに開戦し、敗戦必至となっても本土決戦を決定し、無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない。あの軍というそのもののね、野蛮さ、暴虐さを許せない」。
「僕は軍隊に入ってから、毎朝毎晩ぶん殴られ、蹴飛ばされ。理由なんて何も無くて、皮のスリッパでダーン、バーンと頬をひっぱたいた。連隊長が連隊全員を集めて立たせて、そこで、私的制裁は軍は禁止しておる。しかし、公的制裁はいいのだ、どんどん公的制裁をしろ、と演説する。公的制裁の名の下にボコボコやる」。
「この間、僕は政治家達に話したけど、NHKラジオで特攻隊の番組をやった。兵士は明日、行くぞと。その前の晩に録音したもので、みんな号泣ですよ。うわーっと泣いて。戦時中、よくこんな録音を放送出来たと思う。勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけれど、殆どウソです。だから、僕はそういう焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られている所へ行って頭を下げる義理は全く無いと考えている。犠牲になった兵士は別だ。これは社の会議でも絶えず言ってます。君達は判らんかも知れんが、オレはそういう体験をしたので許せないんだ」。
 これらは驚く勿れ、改憲を掲げる讀賣新聞社の渡邉恒雄氏が、田原総一朗氏責任編集の雑誌「オフレコ!」創刊号で発言した内容です。歴史を実体験した者の科白は、立場を超えて傾聴に値するのだとの感懐を僕は抱きました。



この部分を読んだ私の第一印象を。理由の無い制裁が罷り通るような体質の軍隊で、質量ともに上回る敵国に勝てるはずはない!!


国に敗戦をもたらし多数の国民を死に至らしめた当時の政治家や軍の責任は、法的に戦犯であるか否かに拘わらず、決して許してはならず、未来永劫に亘って追求されるべきだと思っています。


「当時の日本にも正しい面があった」と主張したがる人が最近は増えているようです。正しいか否かは主観に依る部分もあるので、個人がそのような思想を持つことは構わないでしょう。しかし、日本の政権中枢付近にいる人々が当時の日本の正当化を公言しているようでは、今後の防衛政策などについて内外からの多数の支持と信用を得ることが困難になります。「先の大戦での指導者は全否定」するくらいが国益的には望ましいと思われます。


戦争に負けるというのは、それほど重大なこと。


そして、昨日行われた「国立追悼施設を考える会」の勉強会でも、渡辺恒雄氏は戦争認識について講演しています。

「現在の靖国神社のあり方に疑問を持っている。歴史認識を間違えさせる施設が(靖国神社の)遊就館だ。社務所の出版物も戦争責任の反省があった上で戦没者に追悼の意を表する趣旨がない。『A級戦犯はぬれぎぬを着せられた』というようなことが書いてあり、納得できない」

もちろん、私も納得できません。

「(戦争責任に関し)身ぎれいにして、外国にものが言えるような立場にならなければならない。時間がかかるだろうから、とりあえずは中立的な無宗教の国立追悼・平和祈念碑の建設を決定していただきたい」

私から少し補足すると、「靖国問題の解決にはA級戦犯分祀が必要」というのが渡辺恒雄氏の持論*2。「時間がかかるだろうから」というのは主に分祀実現を指しています。更に詳しい発言については、今日の読売紙面に載っています。


渡辺氏は、国立追悼施設については、完全解決手段ではないが靖国参拝への反感を和らげるにはある程度有効、と認識しているようです。私も全く同感です。


【関連過去記事】
国立追悼施設問題への所感
麻生外相の問題発言
靖国問題の根本解決法(靖国大好き人間には納得できないが)

*1:経済政策の方向性に同意できないので私は新党日本を支持しませんが、それとこれとは別

*2:渡辺氏は「A級戦犯の合祀は旧厚生省の主導で行われたものであり、(政教分離の観点から)問題がある」とも述べています。この辺の経緯については東京新聞の10月31日の「核心」に詳しいです