国立追悼施設問題への所感

靖国神社とは別の追悼施設をつくろうとする動きが具体化してきました。
新追悼施設で有力議員が初会合(ライブドアニュース)

 新たな戦没者追悼施設のあり方について検討する超党派議員連盟「国立追悼施設を考える会」の発起人会が28日昼、国会内で行われ、呼びかけ人の自民党山崎拓前副総裁、公明党冬柴鉄三民主党鳩山由紀夫両幹事長ら、3党から発起人14人が初めて集まった。山崎氏を会長とする役員人事を固め、発起人が手分して3党から100人程度の入会者を募ることなど、運営方針について確認した。設立総会は11月9日に内定し、福田康夫官房長官(当時)の私的諮問機関が2002年12月にまとめた国立追悼施設建設の必要性を示す提言をもとに、勉強会を行うとしている。


 同発起人会には、福田氏のほか、公明党神崎武法代表、自民党加藤紘一氏ら有力議員も顔をそろえた。福田氏からは、無宗教施設であることや、靖国神社に代わる施設ではなく両立できるものであることを確認する発言があったという。


 山崎氏は、会議終了後に会見し、「世論がかなり分かれており、非常にデリケートな問題なので、強引に進める趣旨のものではない」として、深い議論を行っていく方針を強調した。同氏は25日、小泉純一郎首相に同議連設立を伝えたとこ ろ「静かに深く考えておられた」(山崎氏)という。会見に同席した鳩山氏は、民主党前原誠司代表の参加について「参加しようという思いで、趣旨には賛同している。発起人に名を連ねることは遠慮すると聞いている」と話した。
私は、国立追悼施設の精神には基本的に賛同します。しかし、現状でどうしても必要か、と問われると若干の疑問が残るのです。詳しくは少し後で述べます。


あらゆる国・宗教・立場の人が広範囲の戦没者をわだかまりなく追悼するには、特定の宗教に偏らない追悼施設が必要なことは間違いありません。


しかし、追悼施設に対しては様々な批判が存在します。傾聴に値する批判は、大別すると次の3種類だと思われます。

  1. 靖国神社という伝統的な追悼施設があるのに、別の追悼施設など不要。
  2. 国家が戦没者追悼など個人の生死に関わること自体が宗教的に相応しくない。
  3. (これは積極的な異論ではありませんが)施設建立のコストに見合うだけの国益が得られるか、疑問である。

1番目は、靖国大好き派の主張です。しかし、靖国神道という特定宗教の施設なので、神道と相容れない信仰を持つ人に受け入れられないのは自然*1。「日本人なら靖国神社を受け入れるのがアタリマエ」と思っている人もいるようですが、個人の信教の自由を重視する私の感覚を基準にすれば、そう言う人の宗教観は歪んでいます。


2番目は、主に靖国否定派に目立ちます。たとえば高橋哲哉氏の『靖国問題』には「新追悼施設はもうひとつの靖国神社を生むだけ」と主張しています*2。一理あると思いますが、いくら何でも靖国と同じにはならないはず。戦前の日本を全て正当化しようとする歴史観を持つ靖国神社と、特定の宗教に偏らない新追悼施設とでは、一部のアジア諸国を含む靖国反対派の反応が全然違うと思われるからです。


3番目は、実は私自身が少し懸念していることです。小林よしのり氏は『靖国論』の中で「国立追悼施設には閑古鳥が鳴くだろう」と述べていますが、これは多分正しいと思われます。靖国神社は、神社信仰を持っている相当数の日本人に支えられ、参拝者が絶えることはありません。しかし、特定宗教に依らない追悼施設への常時参拝者は極めて少ないと考えられます。「税金の無駄遣いではないか」との批判が出るのも自然でしょう。追悼施設建立のコストに見合うだけの価値があるのか否か、十分な検討と議論を行い、国民に説明すべきだと思います*3

*1:靖国神社は宗教でない」と主張する人がいますが、論外。神を祀って祈る行為が宗教で無いはずはありません。

*2:靖国大好き派の小林よしのり氏も『靖国論』の中で、「国が新宗教を作るのか」と述べています。

*3:個人的には、新施設が追悼者で常時にぎわう必要はないと思います。同時に、施設に依らずとも、各自の信仰に基づいた方法で独自に追悼を行えば十分ではないか、とも思います