「傍論だから駄目」も感情論に過ぎない

上で言及した大阪高裁判断に関しては、靖国信仰に理解がある人は「とんでもない判決」だと言い、靖国に好感を持たない人は高評価しているはず。以前にも書きましたが、結局、靖国問題は宗教論争であり、感情論でしかあり得ないのです。「キリスト教の神とイスラム教の神のどちらが正しいか」に論理的決着がつかないのと同様です。


なお、大阪高裁の判断を批判する人の中には「賠償請求を棄却するにもかかわらず憲法判断をするのは傍論に過ぎない」と主張する人が多いようです。小林よしのり靖国論」にも「傍論は暴論」書いてありましたし、今日の読売社説もそんな感じ。この主張も感情論に過ぎないと思います*1。裁判官は「違憲だと判断できるが、それでも賠償には及ばない」のように、判決理由の一部*2として違憲性を主張しているのです。私には蛇足や傍論とは思えません。


下級裁判所違憲判断が最終的な決定力や拘束力を持たないことは確かです。しかし、「違憲判断してはいけない」と言う主張は根拠薄弱だと思います。


なお、この問題については次の記事が詳しいです。首相の靖国参拝に反対の立場の記者が書いた文章ですが、問題点の整理は客観的になされていると思います。
靖国参拝訴訟 高裁判断真っ二つ東京新聞・「核心」)

*1:もちろん私の意見も感情論である可能性大です

*2:判決の直接の根拠ではないが、賠償の否定の意義を強めているようにも読めます